シネマ・コンサート2018開催記念
特別インタビュー

映画監督
山田 洋次
×映画監督
本広 克行

音楽の魔法 しびれる感動
二人の映画監督によるスペシャル対談

日本映画史に燦然と輝く不朽の名作『砂の器』(1974年)のシネマ・コンサートが、4月に東京と大阪で開催される。同公演は劇中のセリフや効果音はそのままに音楽パートをオーケストラが生演奏する映画上映+コンサートの複合ライブ・イベント。昨年夏に東京で行われた公演の再演となる。来るシネマ・コンサート開催に際して、同作で橋本忍と共に脚本を手掛けた映画監督の山田洋次に、自身が影響を受けた作品に『砂の器』をあげる映画監督の本広克行が迫る。
本広監督は映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年)で、『砂の器』のキーワードでもある「東北訛りのカメダ」を使い、老練な刑事(いかりや長介)と若い熱血刑事(織田裕二)のコンビは、『砂の器』の丹波哲郎と森田健作の設定にも通じ、同作へのオマージュを捧げている。

本広:踊る大捜査線チームって邦画が大好きで。で、『砂の器』をちょっと頂いちゃいまして(笑)。

山田:あの黒澤明監督も言っていたけど、色々な映画をいっぱい見て、どんどん真似しなきゃダメだよって。僕も一生懸命真似しますよ、このシーンをどう撮ろうか迷っている時には。今度の新作(5/25公開『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』)では、黒澤さんの『生きる』(1952年)の志村喬と小田切みきとの喫茶店での場面を参考にしてみました。志村さんが階段降りるシーンを西村まさ彦で(笑)。

本広:エーッ!ネタバレしちゃっていいんですか!

山田:昔、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)で喧嘩したことがあるんだよ。ポスターは”黄色いハンカチで”って言ったら、そんなのネタバレになるからダメだって宣伝部が言うからね。「そんなことでつまらなくなる映画なんか作ってないよ!」って言ってやったもの(笑)。

―― 『砂の器』は、ラスト40分で流れる組曲「宿命」に象徴されるように、音楽なくして語れない作品だ。本広監督も、『交渉人 真下正義』(2005年)ではラヴェルのボレロ全編をまるごと使っていたり、新作『曇天に笑う』(3/21公開)では冒頭からサカナクションを起用するなど、音楽にはこだわりをみせる。

本広:映画学校でシナリオ7割、撮影3割と習ってきたんですけど、僕はそこをシナリオ5割、映像+音楽5割で考えていて、撮影中から頭のなかでは自分のイメージする音楽がガンガン鳴っているんです。

山田:僕も大事なシーンでは、自身でイメージしたCDを撮影現場で鳴らして、それにあわせて芝居してもらうこともありますよ。マーラーとか、ニーノ・ロータとか。『砂の器』のシナリオでは、秀夫少年が走り出すシーンに「ここにシンバルが鳴る」と書きこみましたよ。

本広:僕も『交渉人 真下正義』という映画で、ラヴェルのボレロを流して最後にシンバルを鳴らしてその瞬間に捕まえるというネタをやりました!

山田:『砂の器』の撮影前に芥川也寸志(同作での音楽監督)さんのところへ相談に伺ったときにね、芥川さんが、「宿命」っていうのは19世紀のタイトルだよ。現代音楽はこんなタイトル使わないんだ、ベートーヴェンじゃないんだからと笑って仰っていたのをよく覚えてるなぁ。

―― 映画の象徴的なシーンでもある親子の放浪の旅。だが原作では、わずか2,3行しか書かれてない。

山田:最初にこのお話を頂いた時に橋本さんに言ったんです。「こんな複雑な話は映画になりませんよ」と。でも橋本さんが「ひとつだけ、突破口があるんだ」としおりを挟んだ文庫本を見せてくれ、そこには赤線が引いてある。清張さんの短い文章に。「親子のふたり旅、ここをちゃんと描くんだよ」と。僕はそのとき、あぁ原作というのはそういう風に読むんだなぁと思ったね。

本広:橋本さんとは、どこかに籠って脚本を書かれたんですか?

山田:当時、橋本さんが大きな和文タイプライターを持っていらしたので橋本さんの自宅で作業したのが多かったかな。橋本さんがタイプしたのを僕が手書きで清書して。ある日、橋本さんが「洋ちゃん、いいアイディアがあるんだよ!いったん打ち切られた捜査会議が再開され、刑事が口火を切る。と同時に和賀英良が指揮棒を振り下ろす」と一連の流れを話してくれて「どうだ!いいだろ?」と。これは急いで書かなきゃというときは橋本さんも手書きで、かなりのスピードで書いていったかな、2週間ぐらいで。あの時の橋本さんの「よしやるぞ!」っていう高揚感は横で見ていて、とても嬉しかったねぇ。いま僕は凄いものを見てるぞって。

山田:橋本さんからは、ふたりの旅のシーンを思いつくまま書いてくれと言われ、僕も一生懸命考えました。小学校の校庭で運動している子どもたちをじっと見ているとか、橋の下で焚き火をしてお粥をすすっているとか、桜の木の下を歩いているときに、子どもたちに苛められて必死に抵抗したとか、色々書いてね。その中で採用されるものもあれば、採用されなかったのもあるんだけど。「よく書いてくれたよ、あれで助かったよ」と橋本さんに言われたのを憶えています。

本広:あの親子の旅のところはオーケストラの音楽のみなんですよね。あれには、びっくりしました。凄く思い切ってますよね。セリフがない、パントマイムの芝居を見ているような。ブルーレイで見直して気が付いたんですが、秀夫少年の額の傷が、大人になった和賀英良にも、ちゃんとあるんですよね。細かいなぁと。

山田:そうでしたか。実は、あの映画は脚本書き上げて、すぐに映画にはならなかったんです。予算がかかり過ぎるって。脚本は10年くらいお蔵入りしちゃったけど。その間に僕は監督になったので、あの映画が撮影に入った時は、助監督についていないんです。

―― 2人が脚本を書き上げてから10年以上の月日が流れ、映画は完成した。

山田:噂には伝わってきました。野村(芳太郎)監督が撮影中から粘りを見せていて、凄い映画が出来上がりそうだって。試写を観て、シナリオのイメージは、いい意味で裏切られた。こんなにも膨らんで豊かなものになるんだなぁと。ワーグナーの音楽を聴いた時の痺れるような感動っていうのかな、役者の演技と音楽が一緒になって迫ってくるという見事な映画が出来上がったなと思いました。和賀英良が指揮をするラストの音楽には彼の色々な思いが込められているという。実験的ではあるけど、そういう構成が、たくさんある映画の中でも新しいものだったし、観客を驚かせたり、感動させたりしたんじゃないかな。橋本さんが、この作品は「文楽だな」と言っていた。人形(役者)の物語があって、浄瑠璃という音楽が加わっていく。音楽がね、時としてセリフに代わっていくんだよ、と。

―― いよいよ再演が迫る『砂の器』シネマ・コンサート。昨年の初演も観た山田監督は。

山田:映画とはまた違う迫りくる感動なんですよね。終わった後のあんなに長い観客の拍手ってなかなかないです。シネマ・コンサートにこんなにぴったりの作品はありません。

本広:今度は僕も観に行きます!

取材日:2018年2月15日

山田 洋次(やまだ・ようじ)※写真左
1931年生まれ。54年、松竹に助監督として入社。
主な監督作に『男はつらいよ』シリーズ、『たそがれ清兵衛』『母と暮せば』など。
新作『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』が5月25日公開予定。
http://kazoku-tsuraiyo.jp
本広 克行(もとひろ・かつゆき)※写真右
1965年生まれ。TV番組の制作・演出を経て映画監督に。
03年『踊る大捜査線THE MOVIE 2』は実写邦画の興行収入歴代1位。
『UDON』『亜人』など。新作『曇天に笑う』が3月21日公開予定。
http://www.donten-movie.jp