今年、漫画の神様と言われる手塚治虫の生誕90年を迎えるにあたり
作曲家岩代太郎と漫画家浦沢直樹のコラボレーションが実現する。漫画という表現の
可能性を広げた手塚治虫の生涯と業績に新たな光を当て、21世紀型の交響曲を創り出す。
漫画にインスパイアされて紡いだシンフォニーを岩代が自ら指揮し、
その音楽からイマジネーションを羽ばたかせる浦沢が漫画を奏でる前代未聞のステージだ。
3月の公演にかける2人の意気込みと、手塚治虫への思いを聞いた。
国境さえなくす漫画と音楽の力
このユニークなコンサートの計画はどのように始まったのですか。
岩代 今から5、6年前、政治の世界では日本と近隣諸国の関係がギクシャクしていた時期ですが、仕事で訪れた中国や韓国で、日本の漫画やアニメを愛好する人が大変多いことに驚きました。実をいうと僕は、子どもの頃は漫画もよく読みましたが、最近は日常的に漫画を買って読む習慣がないものですから、外国の人たちのほうがよほど詳しいぐらいでした。
浦沢 じゃあ、今回はまず岩代さんが漫画を読むように仕向けなきゃ。世界に届ける前に岩代さんに届けないといけない(笑)。
岩代 もちろん直樹さんの作品は知っていましたよ(笑)。実際に海外で漫画の影響力を目の当たりにしたことで、この力を使って人と人とをつなぐことができないだろうかと考えました。とはいえ僕は音楽家ですので、音楽作品を通して一緒に何かできないだろうか。それが発想のきっかけです。幸い、協力してくださる人がいて直樹さんをご紹介いただき、一緒にやってくださいとお願いしたというわけです。
浦沢 漫画は日本が世界に誇る「発明品」として高い訴求力を持っていることを日々実感している身として、岩代さんがやりたいことはすぐに理解できました。不思議なもので、よく海外の人から「どうしてこんなにドイツ人気質がわかるのか」「フランス人らしさを表現できるのか」といった質問をされますが、僕は人間の普遍的姿を描いているつもりなんです。その点では音楽も同じですよね。どちらも国境をなくすことができる。
その「発明品」の基礎を築いたのが手塚治虫さんですか。
浦沢 同時代の多くの漫画家が新しい表現を生み出そうとしていた中で、手塚先生の作品は飛び抜けて面白くてかっこよくて奥深かった。もともと才能のあった人が、活躍の場を広げながら新しい表現手法をどんどん生み出し、時代に合わせて絶えず自分を変化させていったからです。ビートルズやボブ・ディランと同じように、ひとつのカルチャーを次のレベルへと引き上げる時になくてはならない特別なスター。漫画の場合はそれが手塚先生だったんです。突然変異と言ってもいいかもしれない。
岩代 僕が手塚先生について今も印象的なのは、いつか地球を眼下に見ながら、つまり宇宙で生まれた子どもたちが世の中を動かすようになった時、世界から国境はなくなるでしょうという言葉です。そんな視点を持つ人が子ども向けの作品を描いているという事実に大変感銘を受けました。
浦沢 以前、僕は鉄腕アトムの中で人気の高いエピソード「地上最大のロボット」を自分なりにリメイクした『PLUTO』という漫画を描きましたが、改めてじっくり作品と向き合ってみて、手塚先生という人は本当に負けず嫌いだったんだなと感じました。おそらく「地上最大……」は、白土三平さんのような対戦アクションを自分流に描いてみたかったんだと思いますし、相手がどれだけ年下でも、才能ある漫画家には本気で嫉妬したというのも有名な話です。そんな先生にとって、60歳の若さで人生を終えることはずいぶん悔しかっただろうなと思います。まだまだやりたいことがいっぱいあったはずですので。
岩代 あれほど中身の濃い作品を、あんなペースで描き続ければ当然負担も大きかったでしょうね。
浦沢 だから手塚先生がやりたくてもできなかったことを、できることなら少しでも自分の手で形にしたい。そんな思いは常にあります。このコンサートも、先生が存命なら絶対自分も参加すると言ったはずですし、その結果すごく面倒くさいことになっていただろうなと思います(笑)。負けず嫌いですから。
世界の人をつなぐ新たな表現に挑む
コンサートはどんな内容になりそうですか。
岩代 詳細はまだ変わるかもしれませんが、現時点では全体を8楽章とする予定です。絵の印象から書いた楽曲や、反対に音楽から連想して描いてもらった絵を同時に聴いて、見てもらうものにしたいと思っています。第1部は僕たち2人の自己紹介と、直樹さんの手塚先生愛をたっぷり語っていただくトークコーナーなど。そして第2部のコンサートは、僕にとっては直樹さんと手塚先生との真剣勝負です。
お互いこんなふうに作ろうという相談はしないのですか。
岩代 初めに時間をかけて話をして、向いている方向が同じであることを確認したので、今はあえてそれぞれ一人で作業に没頭している段階です。お互いとことん遠慮せずにやりたいので。
漫画はどのように見せますか。
浦沢 タブレットを使って絵が出来上がっていく過程をほぼノーカットでお見せするので、僕にとっては一発勝負、ほぼやり直しの利かない作業になります。漫画には音がありませんが、描き手の頭の中ではいつも音が鳴っているんです。場面に合わせて「鳴っていて欲しい」音と一緒に見てもらえるというのは、漫画にとって最高のぜいたくとも言えますね。
ライブドローイング(即興による描画)も予定しているそうですね。
浦沢 今回に限らず、機会があれば僕はなるべくライブドローイングをやるようにしていますが、それは「漫画は人が手で描いている」ことを思い出して欲しいからです。今はあまりにも多くの作品が簡単に手に入るので、そのことが忘れられがちな気がします。誰かが手を動かすまでは、音楽は無音だったし漫画は白紙だった。会場では、そんなこともちょっと考えてもらえるとうれしいですね。
タイトルの「○」(まる)が意味するものは何ですか。
岩代 発案者は直樹さんですが、ゼロや無限大など、いろんな意味に解釈していただいていいと思います。しかし僕はこれを「絆」と読みたい。切れ目なくつながる円環は、僕にとって絆の象徴です。
浦沢 サークル・オブ・フレンズだよね。
岩代 将来的にはこのコンサートを海外でも実現したいと思っていますが、音楽と漫画という違う分野の2人が生み出した作品が、立場や価値観の違いを超えて世界の人々を1本の輪でつなぐことができたら、発案者としてこれ以上の喜びはありません。
浦沢 堅苦しいコンサートではないので、どよめいたり笑ったり、率直に反応して欲しいですね。漫画というのは、みなさんに驚いたり喜んだりしてもらうためにあるものですし、あまり静かだとウケてないのかと不安になってしまうので(笑)。
岩代 そうですね、作っている我々の志は高いですが、子どもでも十分わかりやすい表現になるはずですので、幅広い年代の人たちに足を運んでもらえたらと思います。
プロフィール
- 【漫画家】浦沢直樹(うらさわ・なおき)
- 1960年東京都生まれ。『20世紀少年』で小学館漫画賞、『MONSTER』で手塚治虫文化賞マンガ大賞。『鉄腕アトム』(手塚治虫)の人気エピソードをリメイクした『PLUTO』も話題になり、2度目の手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。現在、ルーブル美術館との共同企画である新作『夢印-MUJIRUSHI-』を連載中。
- 【作曲家】岩代太郎(いわしろ・たろう)
- 1965年東京都生まれ。『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督)、『レッドクリフ』(ジョン・ウー監督)などの海外作品から『血と骨』『蟬しぐれ』や『あゝ、荒野』など邦画まで多数の映画やドラマ、また『アルスラーン戦記』、『正解するカド』などのアニメ音楽まで幅広く手がける。