@コーラス隊“ヤング@ハート”とは?

アメリカ、マサチューセッツ州の小さな町ノーサンプトン。1982年に「やんちゃな年金生活者たち」と評される“ヤング@ハート”と呼ばれるコーラス隊が誕生した。今や世界中を飛び回るこのシンガーたちは、なんと平均年齢80歳のおじいちゃん、おばあちゃんなのである。普通ならこの年齢の人の多くが、隠居して静かな日々を過ごすであろうときに、彼らはステージに立ち、コールド・プレイ、ジミ・ヘンドリックス、レディオ・ヘッドなどのロックンロール・ナンバーを大声で歌い上げるのだ!

彼らのその生き様は、エミー賞ノミネートの監督スティーヴン・ウォーカーによって、感動的でユーモラスなドキュメンタリー映画となる。音楽監督のボブ・シルマンと共に、地元での新しいショーの準備に奔走する“ヤング@ハート”のメンバーを、6週間以上にわたり追っていく。
92歳の花形スター!アイリーン、第二次世界対戦の際パイロットだった、ときどき歌詞を忘れてしまうレニー、病気を患いながらも頑固に歌い続けるジョーやスタンなど、とにかく個性的なキャラクターの多いコーラス隊。それぞれに新しい曲と格闘しながらも、コンサートに向けて日々練習に励んでいた。 そして、コンサートまで1週間となったとき、メンバー2人が立続けに亡くなるという悲報が届く。普通なら歌うことができないような辛い状況であるはずなのに、彼らはコンサートを開催し、亡くなった2人の友人を音楽で追悼することを選ぶ。その結果、ショーは観客とコーラス隊の双方を大いに感動させるだけではなく、人生をも肯定するものとなった。 映画はロサンゼルス映画祭、アトランタ映画祭などで受賞。2008年には日本でも公開され、各メディアで絶賛される。世代を超えて多くの人々が、その真実の物語に感動した。

その“ヤング@ハート”は2010年春に初来日、東京、神奈川、名古屋、神戸でコンサートを開催した。第二次世界大戦後すぐに日本に来たことがあるというメンバーも中にはいたが、彼らのほとんどは初めての来日。きっと不安や緊張があるだろうと心配していたのだが、いざステージに上がった彼らのパフォーマンスは、そんな心配をかき消してしまうパワーに溢れていた。
何度も聞いたことがある曲の歌詞は、彼らが歌うことによって新しい意味を持ち、観客の涙、笑いを誘った。日本公演の為に必死で覚えた日本語のロックナンバーを披露すると、会場中が一緒に大合唱、スタンディングオベーションが起こった。彼らの真っすぐな歌、どんなときでもすべてを受け入れ、楽しむことを忘れない姿勢に、多くの人が心を震わせた。
歌うことは生きること、生きることは歌うこと。“ヤング@ハート”のステージは、生きることの歓びを教えてくれる。笑って、泣いて、感動して、世界一いかしたロックンロール・コーラス隊が奇跡の再来日で、日本をふたたび元気にする!

@コーラス隊“ヤング@ハート”の歴史

“ヤング@ハート”は1982年にマサチューセッツ州ノーサンプトンの高齢者向け住宅ウォルター・サルヴォ・ハウスの住人により結成された。結成当初から指揮者であり、コーラス隊を指導しているボブ・シルマンは語る。「結成当初のコーラス隊のメンバーの中には二つの大戦を経験した人もおり、結成当初88歳だったアンナ・メインは、100歳になるまでメンバーとして歌い続けてくれました。そして1983年、町で一番魅力的な劇団ノー・シアターの協力を得て、”ヤング@ハート”の初公演は4回のショーを完売してしまうほど大成功を収めたのです。」

その大成功のパフォーマンスから13年後、それまで毎年ノーサンプトンでの公演を続けていた彼らに、ノー・シアター劇団の協力の下、ヨーロッパ・ツアーの計画が持ち上がった。「ノー・シアター劇団が毎年恒例でロッテルダムでの演劇祭に参加をしていて、たまたま1996年のテーマが『永遠の若さ』だったこともあり、劇団主催者のロイ・フォードリーが我々のことを話してくれて、ツアーを行うことになったのです。」それから、新しい楽曲を加え、衣裳を取り入れ、<ロード・トゥ・ヘヴン>という舞台を完成させた“ヤング@ハート”は大反響を呼び、1997年から2004年にかけてヨーロッパ、オーストラリア、カナダで更に12回の公演を成功させた。

2000年11月には、ロンドン・インターナショナル・フェスティヴァル・オブ・シアター(LIFT)後援のもと、リリック・ハマースミス劇場での公演が実現。また、このロンドンでは<ロード・トゥ・ノーウェア>の基礎も築いた。この作品はLIFTを初め、ロッテルダム市立劇場、ベルリンのヘッベルシアター、ブルージュ2002から共同で制作を依頼されたものである。初公演は2004年の秋、ロッテルダム市立劇場でアウド・ルクサール・シアターにて行われた。

2008年現在のヤング@ハートのメンバーは72歳から88歳である。プロとして舞台や音楽活動を行っていた人も数名、アマチュアとして多数の舞台経験を持つ人も在籍している。また、80歳になって初めて舞台に立ったメンバーなどもいる。1982年の結成当時のメンバーは1人も残ってはいないが、その精神は脈々と受け継がれている。